レバノンの危機と避難生活を女性たちが語る

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2024年11月22日

2024年10月3日付

レバノン南岸のラシディエ・パレスチナ難民キャンプに住むゼイナブ・カバラン・サラミエさん(45歳、離婚歴のある2児の母)は、「爆撃はすぐ近くで起こっているので、恐怖に支配されています」と語りました。

イスラエル軍が9月下旬にレバノンへの攻撃をエスカレートさせて以来、36,000人以上を収容していたラシディエ・キャンプと、アイン・アル・ヒルウェを含む他のパレスチナ難民キャンプは、銃撃を受けています。多くの難民はレバノン国内の他の地区へと逃げましたが、サラミエさんは、ここを離れる余裕がないと言います。

「私たち親子は今ここに頼る人もおらず、経済的な理由で引っ越すことができません。パンを買うこともできず、子どもたちは今朝も朝食を食べられず、行くところもありません」と彼女は話しました。

UNウィメンが最近発表したジェンダー・アラートによると、敵対行為の激化は2023年10月に始まり、2024年9月23日以降エスカレートしていて、レバノンの女性の生活を混乱させ、保護、シェルター、食料、保健・現金支援に対するニーズを高めています。

10月初旬の時点で、推定52万人の女性と少女が避難し、シェルターと安全を切実に必要としています。UN Womenの推計によると、避難民12,000世帯の世帯主が女性です。

2024年9月29日、レバノンのベイルート南部郊外にあるハレト・フライク地区を標的とした空爆により破壊された建物の瓦礫の中を歩く女性。
写真 UNICEF/UNI652760/Dar al Mussawir - Ramzi Haidar

移住と喪失の旅

「戦争機やドローンの音が聞こえるので、怖くて恐ろしくて、ずっと泣きながらキャンプを後にしました」と、ラシディエ・キャンプが砲火を浴びたときに避難した46歳の未亡人、アビル・アブド・アルカリム・フセインさんは語りました。

「パニックとショックに圧倒されました」と彼女は言います。やっとの思いでベイルートの南のサイダにたどり着いたとき、「避難所がないために路上で寝ている人たちを見て、深い悲しみを感じました。私たちがたどり着いた家も、住むのに適さないものでした」と述べました。

しかし、サイダでさえ、女性たちが危険から逃れられているわけではありません。9月29日にラシディエ・キャンプから逃れた32歳のフダ・ファルハットさんは、サイダも銃撃を受けており、家族が再び危険にさらされていると語りました。

「義理の姉は妊娠初期ですが、定期検診にも行けず、2歳の姪は一晩中父親を恋しがって泣いています」とファルハットさんは言います。「今、私が緊急に必要としているのは、安全、家族のための安全な場所、シェルター、医療、そして継続的に入手可能な食料、、、そして、もちろん私の姪が父親がいないまま成長せずに済むことです。」

9月27日のベイルート南部郊外への空爆後、何千もの家族が家を離れ、行き場を失っている。避難所もなく、基本的な物資もなく、多くの人々が路上で生活している。写真(左-右): UNICEF/UNI652314/Choufany、UNICEF/UNI652316/Choufany

レバノンには推定11,600人の妊婦がおり、そのうち約4,000人が今後3ヶ月以内に出産する予定です。彼女たちは、緊急かつ特別な栄養と保健のニーズがあり、安全、保護、心理社会的支援に対するニーズも高まっています。

「私の小さな娘にはミルクとおむつが必要で、私は妊娠しています」と、南部の都市ファール・ルーマネからさらに北のボルジェインに逃れた23歳の母親、ガディールさん*は言います。

「医者の診察料も薬代もかなり高い。とても大変でストレスがたまるし、出産がたいへん心配です。私はその時に病院に行けるのでしょうか」とカディールさんは語りました。

危機は物価の高騰にもつながり、安全を求める避難民の女性たちにさらなる試練を与えています。

レバノン東部のベカー渓谷にあるバールベック市から避難した33歳のハナンさん*は、3日間の砲撃の後、「私たちは自分たちの個人的な書類だけが入ったバッグを持って避難するしかありませんでした」と語りました。

「それは、人生を変えるような、最も難しい決断のひとつでした。自分の家が破壊されるのではないかという絶え間ない恐怖に常に怯えながら生活しています。また、残してきた家族たちのことが心配です。」

しかし、ハナンさんとその家族が比較的安全なサードナエルの町に到着すると、家賃と地元市場の価格の高騰に見舞われました。

「今や自分は避難民なのだという考えを受け入れることは、私にとって難しいことです。私の感情は、悲しみ、怒り、不安が入り混じっています」とハンナさんは言います。

私は家族やきょうだいの前では強くあろうとし、彼女たちを支え、彼女たちの側に立とうとするのですが、結局は自分に嘘をつけないのです。心の奥底では息苦しさを感じています 」と彼女は付け加えました。

危機が収まったとしても、多くの女性には帰る家がない可能性があります。48歳で4児の母であるR.H.さん*は、9月23日、空爆によって実家が瓦礫と化したため、タライヤ村からの避難を余儀なくされました。

「どうしたらいいのかわかりません。持っていたものがすべてなくなってしまったのに、どうやって再建すればいいのでしょう」と彼女は言います。

R.H.さんは、自宅の破壊は子どもたちの将来を混乱に陥れましたが、もはや眠ることも食べることもうまくできない4人の娘たちのために強くいなければならず、絶望することなどできなかったと語りました。

「たとえ明日がどうなるかわからなくても、私は進み続けなければならないのです」と彼女は言います。

2024年9月28日、ベカー渓谷に位置するレバノンの都市バールベックの空爆現場から立ち上る煙。写真 UNICEF/UNI653860/Dar al-Mussawir - Ramzi Haidar
 

UN Womenの対応

UN Womenは、紛争の影響を受けている女性と少女に、そのマンデートに沿って、命を救う支援とサービスを提供するために活動しています。UN Womenは、支援を必要としている女性と少女に直接働きかけ、人道支援が女性や少女とその家族のニーズや優先事項に公平に応えられるよう現地の女性主導の団体や女性の権利団体と連携しています。

この支援には、緊急現金給付、ジェンダーに基づく暴力からの保護サービス、心理社会的支援や法的支援、女性世帯主、未亡人、移民家事労働者、障がいを持つ女性など、社会から疎外されたコミュニティに住む女性と少女のニーズに合わせた支援が含まれています。UN Womenの6カ月計画は、20万人以上の国内避難民の女性と、多くの女性主導組織への支援を目指しています。

UN Womenはまた、危機の間ずっと、人道的対応の計画、実施、モニタリングに関連する意思決定プロセスへの女性の積極的な参加を確保するために取り組みます。

*本記事内で、R.H.さんはイニシャルのみ、ガディールさんとハナンさんは名字を伏せることを希望

(原文)

Women share stories of crisis and displacement in Lebanon | UN Women – Headquarters

カテゴリ: ニュース , 国連ウィメン日本協会

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