伝統にとらわれず、パキスタンの辺境の村の児童婚をなくそう
2025年4月6日
2024年11月13日付
ヤスミン・グルさん*は、パキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州の中心部にあるモフマンドの険しい山岳地帯で暮らしています。その人生は、昔からまったく変わることのない伝統によって形作られてきました。ヤスミンさんの3人の娘、ミーナ*、ファティマ*、アイーシャ*は一日中家事を手伝い、家庭を支えてきました。
このような辺境な村では、女の子は大きな夢を持つようにと言われることはありません。でも、ヤスミンさんの娘たちは学校に行き、読み書きを学び、いつか他の女の子に教えたいと夢見ていました。でも、ミーナとファティマのその夢は、それぞれ14歳と15歳になったときに断ち切られたのです。伝統に従って、結婚が決められたからです。

「娘たちを慰めました」と、自身も幼くして結婚したヤスミンさんは言います。「これが長年のしきたりで、慣れるから、大丈夫だからと言い聞かせました。でも心の奥底では、娘たちにはまだ準備ができていないとわかっていました。どんな娘でも、どんな母親でも、そんな人生を送る準備ができている人などいません」。
娘たちの目に恐怖と悲しみが浮かんでいるのを見て、ヤスミンさんはためらいました。
児童婚は少女たちから教育、自由、機会を奪う
パキスタンでは6人に1人の少女が幼少期に結婚しており、子どもの花嫁の数は1,900万人近くになります。
ミーナやファティマのような少女たちにとって、そのような年齢での結婚は、虐待、出産時の合併症、生涯の機会損失といった重大なリスクを伴います。
ファティマは結婚したその夜に震えながら帰宅し、夫の家に戻りたくないと言いました。ヤスミンさんが夫のもとへ戻るように言ったときのファティマの嗚咽を、ヤスミンさんは今も覚えています。
「私は正しいことをしていると思っていました。これが普通だと思っていたのです」と、言います。

母親たちへの教育と意識向上を通じて変化を促す
モフマンドでは、少しずつ変化が起こりました。2024年9月、ヤスミンさんはUN WomenとFAOが主催する児童婚の悪影響について学ぶセッションに参加しました。その日、セッションを終えて、ヤスミンさんは娘たちを早く結婚させることによって、自分が娘たちにいかに負担を強いてきたかを認識しました。
ヤスミンさんは、男性対象のセッションに参加した夫の支持も得て、末娘のアイーシャは18歳までは結婚させないと決めました。ただ、この決断は、ヤスミンさん自身の人生を形作ってきた伝統に逆らうものであり、小さな村に波紋を投げかけることになりました。
「過去は変えられません。でも、未来は変えられます。アイーシャは成長し、学び、私がミーナとファティマに負わせた重荷から解放されることになります」と、ヤスミンさんは話します。
この決断によって、ヤスミンさんは変化を起こし、娘たちのより良い未来を願う人々の希望と強さの道しるべとなりました。
女性の権利と、農業および意思決定における女性の参加に関する一連の啓発セッションと対話には、1,732人の村民が参加しました。かつては家で過ごすしかなかった少女たちも、今では村の学校に通うようになりました。
2025年は、1995年に189か国の政府によって承認された女性の権利に関する先見的な合意である「北京宣言及び行動綱領」の30周年です。北京宣言及び行動綱領は、女性と少女を教育や機会から遠ざけている差別と暴力をなくすための行動の青写真を提示しました。また、少女の権利に特に焦点を当てた、女性に関する初めての世界的な政策文書でもあります。ヤスミンさんとその娘たちのような女性たちが基本的権利を求めて闘い続ける今日、これらの行動は今なお適切で、かつ喫緊なものです。
*プライバシー保護のため仮名を使用しています。
(翻訳者:結城直美)
カテゴリ: ニュース , 国連ウィメン日本協会