スポーツ界に変化をもたらす6名の女性アスリート
2018年2月7日
モルドバ出身の10代のボクサー、国際オリンピック委員会初の女性委員など、スポーツ界で均等な機会を実現しようとする女性アスリートや女性をここに広く称えます。
現在、女性がかつてないほどスポーツ界で活躍しています。1900年にパリで開かれたオリンピックに女性が初めて参加しましたが、997名の選手のうち女性はわずか22名でした。2012年のロンドン大会は、女性がオリンピックの全種目に参加した初めての大会でした。2016年のリオ大会では、全競技選手の約45%が女性でした。
この2月9日から25日まで韓国・平昌で開催される2018年冬季オリンピック大会には、93か国からアスリートが集結し、記録を目指して女性選手がこれまでにないほどの熱戦を繰り広げることでしょう。
スポーツ界で活躍する女性を称え、ジェンダーの壁を打ち破ろうとしている素晴らしい女性アスリート達を紹介します。
ステラ・サビン(モルドバ共和国)
ステラ・サビンはボクシングの世界チャンピオンになることを夢見ています。ロマ民族のステラは7人の兄弟姉妹の5番目です。
モルドバに住むロマ民族の少女は幼くして結婚し、家庭を持つのが伝統です。多くの少女が学校を途中で辞めて家庭を持ちます。ステラも家族を大切にして一生懸命勉強していますが、そのかわりに家族にも自分の人生の選択に協力してほしいと思っています。
「私はロマ民族の伝統を尊重しています。決して伝統を破るつもりはありません。でも、学校やトレーニングを辞めてまで結婚したくありません。私にも夢があり、夢の実現のためにはどんなことでもするつもりです。なぜ女子は自分が男子と同じことをできないと思うのか、私には理解できません」。
ハジュラ・ハーン(パキスタン)
ハジュラ・ハーンは、パキスタンの女子ナショナルサッカーチームのキャプテンとして、また2014年にモルディブのナショナルサッカーリーグと海外契約を結んだ初めてのパキスタン女性サッカー選手として、歴史を作った女性です。
ハジュラはフィールド上の花形スターであるであるだけでなく、パキスタンにおける女性のスポーツの発展にも取り組んでいます。ことに一般レベルも含めた女性選手のトレーニングの場としてサッカースクールを立ち上げたいと考えています。
「女性がスポーツで真の平等を得るには、メディアが女性選手の外見や私生活ではなく、アスリートとしての能力で選手を認めるべきです。また社会も、ジェンダーに基づく役割分担といった固定観念を女性に押し付けるのをやめ、少女が自分の道を自分で選択できるようにすべきです。特にそれがスポーツであれば」。
エイドリエル・アレクサンダー(ブラジル)
リオデジャネイロで2016年にオリンピック聖火を運んだ12歳のエイドリエル・アレクサンダーにとって、勝者になるということはオリンピックの新体操選手になることだけではなく、自分が住む地域から暴力をなくし互いに尊重し合う地域をつくることです。
UN Womenと国際オリンピック委員会(IOC)は、Woman Win、Bola Pra Frente、Instituto Agenda、ブラジルオリンピック委員会とのパートナーシップに基づき、スウェーデン郵便番号くじスポーツ財団からの支援を受けて「One Win Leads to Another」というプログラムを実施し、400人の少女が参加しました。エイドリエルもその一人です。スウェーデン郵便番号くじスポーツ財団は、スポーツを通して少女のエンパワーメント活動に取り組んでおり、若い選手にリーダーシップや自尊心、リプロダクティブヘルス(性と生殖に関する健康と権利)、女性と少女に対する暴力根絶、より良い将来のために金銭面での将来設計の立て方を指導しています。
「成功するためには努力しなければならないことをスポーツから学びました。何もしないで同じ場所に留まる限り、何の進展もありません。勝者になるということは、夢を実現させ、他者を助け、地域から暴力をなくし互いに尊重し合う地域に変えることです」。
アビー・ワンバック(アメリカ)
オリンピックで2度の金メダルに輝き、FIFA女子サッカーワールドカップ優勝を果たしたアビー・ワンバックは国際スポーツ界の象徴的な存在です。アビーは、皆にはサッカー界のどの男性や女性よりも多くのゴールを決めた国際的なストライカーとして知られていますが、男女平等の賃金の実現も積極的に呼びかけています。
2015年にサッカー界を引退後、アビーは女性選手の権利のために戦うことに目を向け、自分が選手として直面した不当な扱いについて話しています。
「不当に扱われていると感じたら、事なかれ主義ではだめです。今こそ行動を起こしましょう。賃金格差だけでなく機会格差もあり、男性と対等に見てもらうのは難しいことです。どの新聞やウェブサイトを見ても、スポーツ欄で目にするのは男性がプレーしている姿です。メディアの皆さんに呼びかけます。女性のスポーツに関するニュースをもっと掲載してください。もっと女性を取り上げてください!」。
フロール・イサヴァ・フォンセカ(ベネズエラ)
1981年に国際オリンピック委員会(IOC)初の女性委員のひとりになったフロール・イサヴァ・フォンセカは、女性のスポーツに参加する権利の拡大に努力してきました。
フロールは困難と差別に直面しながらも粘り強く努力し、1990年にIOC理事に選出され、それまで女性が打ち破れなかったガラスの天井をとうとう打ち破りました。
「1990年に国際オリンピック委員会(IOC)の理事に選出されたことは前例のないことでした。理事会には11人の男性理事がいましたが、まさかそこに女性が座ることになるとは誰も思っていませんでした。少しずつですが女性の理事が増えています。勝利したときも敗北したときも、女性の経験と女性の視点を増やしてきました。簡単なことではありませんでしたが、夢を放棄せず努力してきました。でも女性だけで努力したのではなく、ともに取り組んでくれる男性がいました。男性と一緒にオリンピックの流れを変えてきたのです」。
ハーリダ・ポパル(アフガニスタン)
2007年、ハーリダ・ポパルはアフガニスタンの女性ナショナルサッカーチームの初代キャプテンとしてアフガニスタン女子サッカーの顔になりました。ハーリダにとって、アスリートであることは女性の権利のために立ちあがる手段でした。
ハーリダはアフガニスタンで死の恐怖に何年も耐え続けた末、アフガニスタンは安全ではないと判断し、自分と家族を守るためにデンマークに移りました。デンマークでも、スポーツを通して女性のエンパワーメントのために尽力してきました。
「アフガニスタンでは女性は尊重されず、人としてすら見てもらえません。まず、能力を育み自信をつけてもらうために女性とともに行動を起こすことが重要です。女性も人であり女性は強いということを自ら信じることが第一です。サッカーのおかげで女性がグループとして団結し、意識向上につなげることができました」。
UN Women Weekly News 02/05 – 02/12/2018 より
(翻訳:土居良子)
カテゴリ: ニュース , 国連ウィメン日本協会